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よく知らない人より顔見知りが苦手な社会不安障害(SAD)がある?

社会不安障害(SAD)はよく知らない人に注目され、恥をかくことを恐れると言われています。会議や集会などでよく知らない人達の前で発表するのが苦手と言うのが典型的な例でしょうか。

しかし、クリニックで診療をしていると、初対面の人より顔見知りの人が苦手という人に出会います。たとえば、外回りの営業で不特定多数の人達の前でしゃべるのは平気だが、会社で同僚と雑談するのが苦手という男性がいます。さらに、ばりばりのキャリアウーマンで大勢の前で講演するのは平気だが、子供の懇親会で少数のお母さん達の前で自己紹介をするのが苦手という女性がいます。この二つのケースを無理に一般化すると、仕事では平気だが、プライベートで顔見知りの人を相手にするは苦手ということでしょうか。しかし、これはあくまで推測です。

とにかく、初対面より顔見知りが苦手な社会不安障害(SAD)のケースがあります。

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「ケータイメール中毒」は重症の対人恐怖と関係するか?

人前であがるといったことがSAD(社会不安障害)といわれ、注目されています。ここで「ケータイメール中毒」は日本の重症の対人恐怖と関係があるのではないかという仮説を述べます。

アメリカで研究されたSAD(Social Anxiety Disorder 社会不安障害)は他人に注目される恐怖のみを扱っています。それに対して日本で研究された重症の対人恐怖は自己臭恐怖、自己視線恐怖、醜形恐怖などと呼ばれ、加害・忌避関係妄想性を帯びているといわれています。また、この恐怖は、他人に注目される恐怖に加え、「相手に不快感を与えるのではないか?」、「相手に嫌われるのではないか?」といった他者志向性を持っているともいわれています。アメリカ型社会に近づきつつあるといわれる日本でも、アメリカで発生頻度が少なくないとされたSAD(社会不安障害)が注目されています。しかし、クリニックで診療している感触では、SADだけでなく、「不快感を与える」「嫌われる」といった日本型の心性をもった人達は少なくないと思われます。

その一つの例として、クリニックのケースではありませんが、社会現象としての「ケータイメール中毒」をあげたいと思います。現代の若者の中で携帯電話はなくてはならないものになっています。その中で一部の若者は自分が出した「ケータイメール」に返信のがいつくるかといったことに心を奪われている「ケータイメール中毒」と呼んでよい状態になっているそうです。数十人の人たちと「ケータイメール」を一晩中やり取りしたり、返信の「ケータイメール」がすぐに来ないと不穏になったりする若者がいるというのです。これらには、相手が自分に対して肯定的な関心を持っていることに携帯電話を通して執着する心性が見られます。その背後には、日本で注目された重症の対人恐怖と同じ「相手に嫌われるのではないか?」という恐怖が隠されているのではないでしょうか。

しかし、精神医学的な考えを社会に当てはめて断定する前に、人は「誰からも好かれたい」と望むのではないかと考えるほうが普遍的ではないかと反論されるかもしれません。「誰からも好かれたい」という気持ちが「ケータイメール」のやり取りに強く出でいるだけかも知れません。

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